訪問看護
久々の投稿になります
訪問看護をしているといろいろな出会いがあり、また反対の別れもあります
今回は私と年齢の近い方が旅立ったお話です
私と彼の出会いは今から約四年前の夏でした
彼は難病を患いながら、ご家族と共に過ごしておられ、そしてコロナ禍の中の出会い、当事業所を選ばれ関わりを持たせていただいたのが始まりでした
もちろん若いころは仕事もされており、ある事故を気かけに病名を知ることとなったそうです
長い年月ご自宅で過ごされ、外との関りがなく外のだれともしゃべらない日もあったそうです
そんな彼がとある相談員さんからの紹介を受け当事業所で関りを持つようになり、訪問看護で介入することとなりました
彼はしっかりと自分の障害を受け止め、今を生きることをされているといったことが最初の印象でした
それまで医療的なかかわりは病院だけで、そのほかは朝のヘルパーさんの起床介助だけで全くといっていいほど他者とのかかわりがなかったそうです
そんな中、訪問看護が始まり少し、ゆっくりと話をする機会がありました
「外に出てみたい」
たったその一言でした。
私はそれならば当事業所にあるデイサービスの提案をしました、彼はデイサービスはお年寄りの行くところではないのか?などの不安を言葉にしたのを覚えています
話をする中で一度行ってみたいと前向きな言葉がありお試しで行ってみたところ、気に入ってくれた様子で毎日通うほどになりました
「ここは天国です」という言葉に「なぜ?」と聞き返すと「いろんな人と話すことができる、自分とは違う病気だが皆さん笑顔だから」とのことでした
私はその時はよかったとの思いだけで聞き流していました。しかしご両親がコロナに罹患し自宅で過ごすことができなくなったことを理由に自宅から遠く離れた施設にお願いすることとなりました
もちろん訪問看護はそこまで行くことができません。でも彼は少しでもいいからデイサービスに通わせてほしいと、相談員に話しそれならばと職員も頑張って送迎をしてくれていました
しかしとある事故で、入院することとなり長期入院、病気の進行ももちろん進むこととなりました
退院を目前に、入院前の状態には戻れず施設も受け入れが困難なため、他の施設に行くのか自宅に帰るのかと関係者全体で悩み考えました
その時、当事業所所在地で別棟があいていたこと、本人に話した際そこならば、とのことで昨年末に退院しそこでの生活が始まりました
しかし病気の進行により食事を口から食べることが難しくなっており、誤嚥し肺炎を起こし再入院となりました
もともと体力の弱っていた彼が食事をとれないことは致命傷でありだんだん体力が落ち元気もなくなってきました
年齢的なこともあり今後のことも考え、胃瘻増設を提案し何度もまだ生きていける命であることを説明し、今までのように過ごせることを説明してきました
しかし彼は胃瘻に関して絶対的な拒絶があり、決して首を縦に振ることはありませんでした
肺炎の治療が終わり帰宅す、ることとなり胃瘻のことも引き続き話をしたことを覚えています
彼の意思は変わらず、点滴で少ない栄養を取るのみとなり、だんだんと動くことも話すこともできなくなっていきました
そしてある朝、彼は息を引き取りました
私は看護師として何もできなかった自分を無力であり彼がいなくなった虚無感を覚えたことを忘れません
今となって思い返してみても同じ思いが残っているのは事実です
しかし一人の人間として彼を再度見つめなおしたとき、自分の想いを貫いた彼は本当にすごい意志であったという思いが強くなってきたのも事実です
死ぬかもしれないという不安と闘いながら自分の意思を貫くことは並大抵のものではなかったと思います
私はこれから彼の悔しかったであろうという思いと、これでよかったという思いを胸にこれからも利用者一人一人に向き合い最善は何なのかを考えていきたいと思います
彼に最後に送った言葉は「さようなら」ではなく、「ありがとう」という言葉でした
訪問看護師として、医療介護を提供する会社の代表として彼が残してくれた私の経験をこれからも今から出会う方々に届けることができればと思います
所長

